豊楽寺について

豊楽寺(ぶらくじ)は正式には大田山大願院豊楽寺といい、神亀元年(724)名僧行基により創建されたものと伝えられます。
また、別名 柴折薬師とも称され、
愛知県の鳳来寺の峰薬師、福島県の常福寺の嶽薬師と共に日本三大薬師の一つに数えられています。

本堂である薬師堂、四国最古の建造物で、桁行、梁間ともに五間の単層入母屋(いりもや)造り、柿葺(こけらぶき、杉板の割板を敷きつめた技法)で勾欄(こうらん、手すり)付きの廻縁(まわりぶち、縁側)を有しています。
壁は板壁で前面中央の三間は板唐戸の観音開きになり、両脇の一間には連子窓がついています。
屋根の勾配はゆるやかで、軒先の反りは美しく優雅です。

特に内陣の須彌壇(しゅみだん、本尊を安置する段)の勾配(こうばい、傾斜)と
嵌板の香挟間(こうざま、狭い空間)の刳りは、
平安時代後期の特色をよく表しています。
なお、内々陣の棹縁天井(さおぶちてんじょう、天井の様式)は
この種の天井の最も古いものの一つといわれています。

像高 134.8㎝ ヒノキ材 一本作り
本像の胎内背部一面に、結願者の氏名と仁平元年(1151)8月4日の年記と薬師堂及び本像の造立のことが記されており、薬師堂建立の時代が明確となった。
仁平元年は藤原末期であるが、本像はややずんぐりとし、頸は猫背の肩におちこむように作られ、顎を前に突き 出して、螺髪も大粒で面相もやや面長な顔付につくられ、唇は朱をさし前にとび出している。
像の後には古様な全高216.6cmの板光背が付属しているが、板光背をもつ像は古様な作風を保つ像が多いといわれていて、本像の技法も極めて古いものをもっている。
頭と体を 一材より作り、前後に割り、内刳りを施し、彫眼漆塗りであり、平安末期の作とは思えない作風である。
土佐の仏像の製作年代を明らかにする基準作品としても貴重な遺品である。
南国市岡豊の県立歴史民俗博物館にはこの佛像の実物大のレプリカが安置せられている。

像高 132.0㎝ ヒノキ材一木作り
本尊薬師如来坐像、脇仏阿弥陀如来坐像は、釈迦如来坐像と若干彫刻様式も異なり、釈 迦如来坐像の貞観様を脱し、すっかり藤原様式のやさしさとなり、顔は丸顔で眼は静かな 伏し目、唇もおとなしく、螺髪も細かくなっている。
体はかなり量感があり、成熟した美 しい藤原様式の尊像である。
光背は全高226.5㎝で上端の尖った舟型の二重円想光背で板光 背と呼ばれるものである。
大正7年に一部修理が施されているが台座はその時の新補である。

像高132.0㎝ ヒノキ材一木造
彫眼の古色像で内刳りを施す。肉髻珠白毫は刻まない。
伏目の瞳には墨を入れ口唇に朱をさす。螺髪は細かくなっているのが特徴である。
両手をまげて腹前に第一、二指を捻じり右手を前に組んだ弥陀印を結び縵綱相(指の間に水かきがあること)を表し、右足を上にして結跏趺坐する。
光背は全高232.0㎝で材質形状構造等は中尊に準ずるが二重円相部及 び周緑部唐草文様などは浅肉彫とする大正7年一部修理が行われているが台座はその時の新補である。

アクセス

【交通】大豊ICから車で20分

【時 期】通年 (薬師堂内部、観覧の際は事前予約が必要 内観料500円)

【所在地】大豊町寺内314

【問い合わせ先】0887-73-0029